人を評価する事に矛盾はあるけど、基準は無い。
春のこの時期になると、業務振り返りによる評価が実施されていると思います。
そこで人のイメージが如何に評価に結びつくのか、って事に直面しました。
いくら勘違いでも良かった結果に結びついていたイメージはそのまま高評価になり、それが間違った感覚でも結果として評価に結びつく事になってしまった。それは、今回イギリス人の評価する人が、ある人の評価を上げた事で明るみになってしまったが、なぜそのような勘違いが発生するのか、本来その人に求められている業務は、どういった事なのか、難しい。でも、その為に各タイミングで業務の見直し、今の課題・成果などを見直ししながら、仕事を進めていっているのだと思う。でも、頻繁に会わない人の評価をつけようとすると、結果として曖昧なイメージのみが先行してしまう。
これは、日本人だけに限らず世界中同じ感覚なんだと勉強になった。
一方的な評価で自分で納得出来る結果を出した人でも、例えば評価面談の直近の印象も一つのトリガーとなってしまう。直前になにか異なった内容があれば、それが残像として頭の片隅に残っていて、正常に評価がされない可能性もある。
それを回避する為には、やっぱり自分で客観的に指標を含めて説明できる能力をもっていにとダメなんだと思います。
って、今回も同様に自己分析のタイミングで業務・業績の見直しをするのも良いかと思います。